「ねえそれ寝癖ってホント?」
「え」
「ねえ嘘でしょ?嘘だよね?寝てるだけでそんな頭になるはずないもんね?」
「えっと、…ホントかな」
「うっそだー!」

結局信じてもらえなかった。








Catch me if you can







さんは、とても分かりやすい子だと思う。普通に生きているだけなのに度々「何を考えてるか分からない」と言われる俺からすると、羨ましい才能の一つだった。一度そのことをさんに直接伝えたら、ものすごく低い声で「…すいませんね」と返されたので、向こうにとってはさほど嬉しくはない事実みたいだが。


「黒尾くん、さっき先生が探してたよ」
「ん?あ、マジか」
「部活のことだと思うけど…」
「おー、サンキュ」

教室でうだうだと喋っていた俺に、さんは自然に接してくる。よくこの見た目で女子には警戒されることが多いけど、さんは俺を警戒してなかった。それが良いことなのかそうでないのか、今のところ判断する術は持ち合わせていないので分からない。ただ、クラスの女子の中でもかなり珍しい存在であるということは確かだ。


その日は午後から雨予報だった。先生に呼び出され、3年の進路と部活の両立について滾々と話され、若干うんざりしていた。のに、帰ろうとしたら雨。テンションはさらに下がる。もともと高い方でもない自覚はあるけれども。

「…あれ、黒尾くん」

覚えのある声。振り返ると、さんだった。今日はやけに接点がある。


「今帰り?」
「おー、先生と話してたから」
「あ、さっき言ってたやつ?」
「うん」
「…大丈夫だった?」
「ん?」
「いや、なんか、元気ないかな?と思って」


デフォルトで機嫌が悪いと思われることに慣れていたから、その言葉は新鮮だった。かといってそれが押しつけがましい詮索めいた響きを持たないのは、さんが自分から聞いておきながら、淡々とカバンの中から折り畳み傘を取り出し、開いたから。淡い水玉模様がバツンと音をたてて、灰色がかった視界に広がる。

「…さんて」
「え?」
「俺のこと、怖くねーの」

思わず訊いてしまった。きょとんとした視線が戻ってくる。そりゃそうか。たかがクラスメイトだもんな。何言ってんだ、俺。

「怖くはないよ」


「…ちゃんの、元カレだから」


懐かしさすら感じるその名前に、身体が自然と反応した。それは3ヵ月前に別れた女の名前。春のクラス替えで、今はもう別々の教室に通うようになっていた。ああ、そうか。俺は理解する。さんが見ているのは俺じゃなくて、「友達の元カレ」なのだ。だから軽口も言うし、必要以上に警戒もしない。俺を分かっているというわけでもない。

ましてや興味があるわけでも。


「……ごめん」


いつか彼女を「何を考えているか分かりやすい」と評した時の返事と同じくらい、低い声で、謝罪の言葉が横から聞こえた。え?と思って顔を向けると、さんの眉間に3本くらい深い皺が刻まれていた。今度は何だろう。苦しんでいるように見えるけど。

「…何が?」
「いや、あの、黒尾くんは、黒尾くんなのに」
「……」
「黒尾くんは、黒尾くんで、ちゃんと名前があるのに…」
「…悪い、ちょっと意味分かんねーんだけど」
「うん、私も分かんなくなってきた……」

おい。馬鹿なのか。

「つまり、その……元カレ、とか、言って、ごめんなさい」

さんの説明は説明になっていなかった。途中で説明することを諦めたんだと思う。でもなんとなく、言いたいことは、理解できた。


「あのさ」
「ハイ」
「俺、いつもこんな感じだから、よく”何考えてるか分かんない”って言われんだよ」
「…はあ」
「だからさ、なんつーか、勝手なイメージ持たれることも多くて」
「……うん」
「そういうの面倒くせえなって、思うこともあったんだけどさ」

さんは黙って聞いている。雨の音が強くなった。

さんは、そういうの、ないんだなって、嬉しかったっつーか」
「…さっき、元カレとか、思いっきり言っちゃったけど」
「うん、まあ、そうなんだけど」

だけどそうじゃない何か、も、あるような。これは俺の希望かもしれないけど、さんが俺を呼ぶ時の、声のトーンとか、表情とか。そういうのが一つ一つ、組み合わさって感じ取れる「本当」が、俺を正しく見ている気がしていた。それは例えば、今みたいなことがあっても、すぐ謝るところとか。


「俺、さんのこと、好きかも」
「ふーん……えっ?」

一瞬スルーされたが、気づいてもらえた。

「……」
「……」
「…え、なんか、喋ってくれないの?」
「喋るとしたらそっちだろ」

返事、と俺が促すと、さんはそれはもう分かりやすく「困ってます」という顔になった。なんだかだんだん面白くなってくる。別に答えは急がないし、こっちもまだようやく自覚したくらいだし、次はどうしようか、考える余裕はあった。でももう、狙いは定めた。あとはボールを打ち込むだけ。


「とりあえず、傘、入れてくんね?」


俺持ってねーんだ、今日。手ぶらのジェスチャーを見せると、さんは赤くなって、また「困ってます」という顔になった。ますます面白い。だって明らかに、彼女の小さい傘に、二人は入らない。ましてや相手はこの俺だし。

完全にキャパオーバーしてるっぽいさんを前に、俺は次の予想を立てていく。やがてゆっくり立ち上がり、彼女の方へ近づいていく。初めてそこで俺を「警戒」するだろうか。でも今なら、それでいい。「友達の元カレ」から、「よくわからな男」になれるまで、あともう少し。








(24.01.11)

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