花散る遠雷










どうしてなのかなあ、私はとんと疎い。こういうことに。天元様の手が伸びてきたとき、本能的に、「ああ、されるんだな」と思った。されるんだな、というのは、コトを為すということだ。つまり同衾するということ。

「…おいおい、じっと見すぎじゃねえか?」

これからド派手にやろうって時によ、という天元様は、言ってることと裏腹にひどく慣れた優しい手つきで私の着物を脱がせていった。奥さんがすでに三人いる、と聞いたので、それはもう手練れということなんだろう。対する私は何もかもが初めてだったので、されるがままだった。派手なのか地味なのかわかりかねるほど、経験値は皆無だった。

「…おい
「…はい」
「本当にいいのか?さっきから、顔色ひとつ変わらねえけど」

本当に、いい。私はこくりとうなずいた。でも天元様は少し躊躇ったようで、うーん、と小さく唸ってから、ごろりと私の隣に横になった。「いつだって派手にできるからな、しばらく話すぞ」と言いながら。私は、しようがしまいがどっちでもよかったので、小さくまたうなずいた。

「いいか、愛ってのはな、突然目の前にド派手に落ちてくるんだ。バーン!ってな」

天元様はその綺麗な横顔を私に見せたまま、天井に向かって話した。落ちるのは愛ではなく恋ではないだろうか、と思ったけれど、彼と私では人生経験が違いすぎるので、何も言わないでいた。

「お前が俺に心底惚れるまで、待っててやってもいいんだぜ」
「…天元様は」
「あ?」
「優しいんですね」
「……」

彼は整った顔を私に向け、少し目を見開いた。その表情に、私は初めて会った時のことを思い出す。私と天元様が出会ったのは、鬼が出没した村の中だった。私はその村で、当時結婚の約束をした人がいた。と言っても親が決めた縁談で、私はそこに対して何も個人的な感情を抱いていなかった。けれどあの夜、村人の悲鳴で目を覚ました私は、とっさに彼の元へ向かったのだ。今思えばそれは少しの愛、ゆえだったのかもしれないけれど、もうわからない。なぜなら彼は鬼に食われてしまったから。私の目の前で。

「馬鹿言うな、本当に優しい奴は、こんなことしねえよ」
「それは、私が哀れだったからでしょう」

お前大丈夫か、と天元様は言った。お願いがあります、と私は答えた。その時の天元様のまなざしを、私は一生忘れないだろう。

「…綺麗な娘だな、と思ったからだよ」

派手な面してやがるしな、と言いながら、天元様は私の頬を優しく拭った。

気づいたらまなじりから透明な水がはらはらと流れていた。あの人は、あの人はどうだったのだろうか。私はまだ幼くて、恋をすることすらおぼつかなかったけれど。だけどあの日、とっさに彼の元へ行った私を、そのせいで鬼の前にみすみす姿をさらした愚かな私を、あの人はかばって死んだ。それは、愛だったのだろうか。それとも良心?何もわからない。私はただ、呆然として、その直後に現れた天元様が鬼を斬り伏せるまで、泣くことも忘れて地べたに座り込んでいた。



「お前、覚えてるか?2年前の約束」
「…死ぬくらいなら、俺のところへ来い、っていうのですよね」
「あー…まあ、そうだけど」

俺の前で、命を粗末にするなよ。

天元様の言葉は薄暗い夜の闇の中で、ロウソクの灯りのようにぼんやりと明るく、温かかった。わかりました、と私は再び答える。あの時と同じように。本当は、彼が死んだ瞬間、死のうと思っていた。つまらない、何もない、私の人生は空っぽだと思い続けて、ようやく見つけた新しい光だったのだ。彼との結婚は。だけど終わってしまった。一瞬にして。

「派手に生きてりゃな、いつか報われる日がくるんだよ」

私も殺してください。鬼を殺して振り向いた天元様に、私はそう頼んだ。こんなに強い人なら、私ひとりの命を奪うことなんて容易いだろうと。けれど天元様は聞き入れてくれなかった。殺してください、殺してください、と壊れた玩具のように言い続ける私のそばへ来て、彼は一言、言ったのだ。お前、俺の嫁にならねえか。

すとんと力が抜けるように、突然の眠気が襲ってきた。天元様の体温は心地いい。彼のあの言葉が、男女の色欲的なものから発せられていなかったことは、今この状況を見るに明らかだった。私のうつろな眼に気付いたのか、天元様はちょっとだけ笑って、私を引き寄せた。穏やかな心音が聞こえる。その優しさにひっそりと泣きながら、いつか見たあの人の笑顔を思い出していた。






(22.1.15)
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