王様の恋2








授業で使用したプリントは、全部書き込めた人から提出してください。そう告げたところでチャイムが鳴った。今日も無事に終わってくれた。烏野高校に実習生として来て10日目。授業で生徒の前に立つことも慣れてきて、人に何かを教えるということも慣れてきた。

「はいせんせー、プリント〜」
「はーいありがとー」

わらわらとプリントを持って最初に前に来てくれるのは、だいたい女子たち。女の子はみんな可愛い妹みたいな感じで、やっぱり喋りやすい。最初はつんつんしていた男子も、最近はちょっとずつ返事をしてくれるようになった。

「……」
「あ、ちょっとこれ、名前書いて」
「……」
「…聞いてる?影山くん」

約一名を除いて。


高校生が多感な時期というのはよく分かっているつもりだけど、そうは言っても勉学に励んでもらわなければ困る。影山くんは例の一件以来、あきらかに私を避けていて、その気持ちは分からなくもないけど、かと言ってプリントを無記名で提出されるのは見過ごせない。評価がつけられないじゃないか。

「あとここの問い、空欄だけどなんで?」
「……」
「影山くん?」
「…忘れてました」
「…じゃあ、書き直して」

天から三物を与えられなかった影山くんはプリントを持って静かに席に戻った。私はふうと息をつき、他の子が渡してくれた紙の束に目を落とす。私の担当科目は現代文で、今は夏目漱石を読んでいる。


大人しく席に戻った彼の方をちらりと見た。眉間にしわを寄せて、私がつき返した紙切れと対峙している。その真剣な眼を見て、私は静かに反芻する。前に女の子たちから言われたこと。先生が好きなのは誰?


嫌いではないんだろうと、思う。



しかし、しかし君、恋は罪悪ですよ。

積み上げられた回答の中にその言葉を見つけて、笑いそうになった。自分の中の奥深くにあるもやもやとした何かが、本当に私が知っている感情なのだとしたら、それこそ罪悪だ。なぜなら私は少なからずもう大人で、彼は身体だけ大人になりつつあるものの内面は未成熟な子供だから。二人とも社会に出てしまえばこれっぽちの年の差、なのかもしれないけれど、学生というものは1つか2つの違いだけで心の成熟度が全然違うと思う。自嘲気味に思い返しては完結するこの堂々巡りは、私が私に観念することでしか、終わらなかった。


あの時、体育館で出会った瞬間。その罪悪は始まってしまった。

きっと私はこの罪悪を死ぬまで隠し続けるだろう。


避けられていることも、それがもしかすると私のせいかもしれないことも、分かっているけどどうにかしようとは思わなかった。こんな年上女に好意なんて持たれて気持ち悪い、と思っていたら、申し訳ないけれど。でもそのことに怯えてベッドで丸まって実習を投げ出すほど、子供でもない。影山くんには、必要以上に近寄らないようにはしているつもりだった。それが今できる精一杯のこと。


「…できました」

相変わらずぶっきらぼうな、低い声が頭のずっと高い所から落ちてきた。私はあまり顔を見ずに「ありがとう」と答えた。空欄だった問いも文字が書き込まれている。

「?」

人の気配が残ったままなのに気付いて、顔を上げた。あ、と思う。目がばっちり合ってしまった。

「そこに書いてある通りです」
「?なんの…」

話、と最後まで言い終わる前に、彼はふいと顔を背けて教室を出てしまった。あたりは休み時間特有の、雑多な音が入り混じった空気。まるで私にしか聞こえない声で呪文を唱えていったような。彼のいた形跡はまわりの音たちに瞬時に掻き消された。

なんだったんだろうと思いながら、プリントに視線を落として、ぎょっとした。


先生が好きだから。


さっき空欄だった場所に、影山くんの字でそう書かれている。質問内容は、「”私”が”先生”にそう述べた理由は何か」。これがちゃんと考えて書かれた解答でないことは、自明だった。だって”私”も”先生”も、教科書上は男性なのだ。


「……」


誰か嘘だって言って。









(16.05.24)
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