王様の恋3








実習最後のお昼は、生徒と食べるように。それが烏野高校における教育実習の取り決めらしかった。食事を一緒にするというのは実はとてもハードルが高かったのだけど、最後だし楽しもうと思った。なんだかんだ、共有していた時間が終わるというのは、寂しくなるものだ。


「先生のお弁当おいしそうー!」

誰にも声をかけてもらえず終わったらどうしよう…と怯えていたら、よく質問に来る女の子たちが「先生こっちー」と席を作ってくれた。良い子だなあと一人でじんわりしていたら、お弁当にまでコメントしてくれた。半分以上は冷凍食品だよ、とは夢が無くなるので黙っておいた。


「ねえ先生、影山に何か言いましたか?」
「ッ、…ゴホッ」

突然の名前出しにむせた。

「何かって?」
「おめでとうとか、がんばったねとか」
「??なんで?」
「えー先生、知らないんですか?」

バレー部、すごいんですよ!と、まるで自分のことのようにその子は私に詳細を教えてくれた。なんでも最近はめっきり弱くなっていたバレー部が、影山くんが入ってから一気に強くなったということ。そして先日、県内の強豪校に勝ったのだということ。

その話を聞きながら、この学校に来たばかりの時のことを思いだした。体育館。あの出会い。そしてその時見た、強烈なサーブ。ああ、やっぱり、強いんだ。だってあの時のボールの動き、すごかったからな。





最後だしいいかな、と思って、武田先生に頼んでもう一度だけ部活をのぞかせてもらうことにした。夏はとうに過ぎたのに館内の熱気はかなりのもので、その独特の湿っぽさと埃っぽさがあいまった、決してキレイとは言えない混濁した空気感が、若さの象徴のように思えた。

「日向、ラスト1本!」

彼の声は教室で聞くのよりもずっと澄んでいた。生き生きとしている、と言うか。遠目でよく見えなかったけど、きっと瞳の奥も輝いているんだろう。平均より長い手足が、バネのようにしなやかに動いて、想像もつかないボールの動きを作り出す。まるで芸術みたい。


「…楽しそうですね、バレー部」

ぽつりと言った私に、武田先生はあははと笑った。

「いつもそうとは限りませんけどね。でも、今、すごくいい感じになってます」

この人は本当に生徒へ愛があって、心からそう思って言ってる、というのが伝わる言葉だった。私は単純に、遠いな、と思った。ただ年齢が離れているということだけじゃなく。彼らには圧倒的な、未来があった。私はどうだろう。実習を受けて、教員試験を受けて、それで、その先にある未来はどれだけ自由なのか。


別に自分の人生に悲観的になってるわけじゃない。全部、自分で決めてきたことだ。これと言って大きな挫折もないし、この先も、そんなに道を踏み外すことは無いだろうと、なんとなく分かってる。


それでも今、この瞬間だけ、私は彼が羨ましかった。


「…いい雰囲気ですね」
「そう見えますか?嬉しいなあ」
「烏野高校は、生徒もみんな素直だし、いい学校でした」
「…そうかもしれませんね」

でも生徒たちも、あなたが来て喜んでましたよ。

武田先生の言葉に、思わず鼻の奥がツンとした。ここは泣くところではない、と思ったのでトイレに行くふりをして外に出た。こんなセンチメンタルになる必要なんてないのに。





先生」

聞こえるはずのない低い声に驚いて振り返った。ぽたぽたと汗を垂らしながらそこにいるのは、間違いなく、

「…影山くん」

なんでここに、と思ったけど、それを訊いてもどうしようもなさそうで、黙った。影山くんはひょろりとした16歳らしい身体つきで、それはやっぱり、彼がまだ子供だという事実を私につきつけてやまなかった。

「…この前、すごく強いとこに勝ったんだってね」
「……」
「クラスの女子たちから聞いたよ。おめでとう」
「……」
「影山くん、密かにファンの子とかいるんだって。知ってた?」
「……」
「まあそれだけ強かったら…」
「先生」


私の意味のないおしゃべりを遮る彼の声は、いつかのレシーブみたいに鋭かった。


「好きです」


「初めて会った時から、先生が、好きです」


ああ、と私は心の中で声を上げる。一目ぼれなんて一生ないと思っていた。私の青春は、もう終わりかけてると。

だけど目の前の彼が、それは許さないとすごい勢いで引っ張り上げる。ひどく澄んだ目で、声で、私を呼び戻す。



「…ありがとう」


言った瞬間、目から透明ななにかがぽたぽたと流れ出た。影山くんはぎょっとしていた。そうりゃそうだ。私も今、自分にぎょっとしている。


「す、す、すいません、あの、俺」
「ご、ごめん、違うの、これは」

嬉しくて、泣いてるの。

仕方ないから本当のことを言った。影山くんは今度はぽかんとして私を見た。それが可笑しくて、私はちょっと笑ってしまった。するとますます影山くんの瞳は困惑の色を浮かべてしまった。うん、そうだよね、あなたの気持ちは分かるんだけど、これはちょっと自分では止められない。


「…あー、やっとおさまった」
「……」
「…そんな『どうしたらいいか分かりません』って顔、しないでよ」
「……すいません」
「なんてね。嘘だよ」

彼が少なからず、私に好意を寄せてくれていたことは、正直、とても嬉しかった。ずっと封じ込めていた何かが、再び全身に巡るのを感じた。


でも、ごめんね。


ゆっくりと、噛みしめるように最後まで言い切った。どうして、と目で訴えてくる彼に、私は静かに首を振る。あなたの自由は、とんでもなく広い空だから。私につかまってはダメだ。


「卒業しても同じ気持ちだったら、また言いに来て」


それが二度と来ない日だったとしても。










(16.06.25)
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